日本で唯一、2万年前の住居状遺構 史跡田名向原遺跡に行ってきました。

趣味

みなさんこんにちは、おなかぺこぺこです。突然ですが、私の趣味は縄文時代以前の遺跡を見ることです。なぜ好きかと言われると、ちゃんとした答えを見つけられず、悩んでしまい、これまで、ブログにするのを避けてきました。

しいて言葉にするのなら、縄文人が作り出した土器や土偶、装飾品が単純に素敵で魅力を感じることや、権力や政治色がない人間本来の営みのようなものに興味をそそられるからだと思います。

そこで今日は、先日訪問した、相模原市にある、旧石器時代の田名向原遺跡を紹介したいと思います。

史跡田名向原遺跡は、神奈川県相模原市中央区田名塩田に所在する、約2万年の建物の跡がみられる日本で唯一の住居状遺構です。後期旧石器時代から縄文時代・古墳時代にかけての複合遺跡であり、人類の定住化の歴史を語る重要な遺跡として保存され、国の史跡指定を受けています。敷地内には、全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした旧石器ハテナ館という施設があります。

旧石器ハテナ館 利用案内

  • 開館時間

4月〜10月 午前9時〜午後6時

11月〜3月 午前9時〜午後5時

  • 休館日

12月29日〜翌年の1月3日

  • 入館料

無料

旧石器時代とは

旧石器時代とは、土器を持たず、主に打製石器や動物の骨や角を用いてつくられた骨角器を使い、狩猟や採集活動を行なっていた時代です。

前期・中期・後期の3つの時期に分けられ、アフリカで誕生した人類が道具をつくり始めてから、およそ260万年も続きました。キリストが誕生してから2023年余りの私たちにとっては、ちょっとピンとこないタイムスパンですよね。

日本列島では、人類が海を渡ってきた、旧石器時代後期の4万〜1万5000年前を旧石器時代とよんでいます。そのころの人類は、定住はせず、槍で狩りをしながら移動生活を送っていました。

田名向原遺跡は、日本で唯一、住居状の遺構が確認される、旧石器時代の遺跡です。土器が出現し、定住化が進んだ縄文時代に至るまでの過渡期を垣間みることができます。

私たちの祖先、ホモサピエンスの歴史

私たちの直接の祖先である、ホモサピエンスは、およそ20万年前に誕生したと言われています。

700万年前に誕生した人類は、いろいろな種が現れては絶滅していましたが、20万年前にホモサピエンスが登場し、10万年前ごろにアフリカを出て、ヨーロッパやアジアなど世界中に広がりました。そのことを出アフリカといいます。なぜホモサピエンスが、突然アフリカを出たのかはわかっていません。

私たちの先祖が誕生しておよそ20万年、その延長線状に私達の暮らしがあります。

田名向原遺跡の特徴と旧石器ハテナ館の展示

田名向原遺跡の住居状遺構は、直径約10メートルの円形の範囲を河原石で囲んだもので、内部からは、焚き火跡を囲むように、柱穴が12基検出されています。

川辺に接していたと考えられ、サケ・マス類の季節的・集約的な漁場につくられた半定住型の建物だったと推定されています。

尖頭器193点のほか、ナイフ型石器50点あまりの成形された石器が出土され、槍先形石器には長野県産、伊豆産、箱根産の黒曜石が用いられ、遠隔地との交流があったことがわかっています。

敷地内にある、旧石器ハテナ館内では、旧石器時代の建物の復元模型があり、当時の生活をうかがい知ることができます。

模型を観察すると、炉を囲んで住居ができており、2万年前にも人類が炉を囲んで食事をとっていたのかなと思うと、現在に通じるものがあり、少しだけ2万年のタイムスパンが縮まったように感じました。

また、建物の屋根材には動物の毛皮が使用されていたと説明があり、黒曜石のナイフで肉をこそぎ落として作ったもので、手間のかかる作業だったようです。

さらに展示室では、ウクライナで発見された、マンモスの骨と皮で作った住居の写真もありました。マンモスを狩猟することもさることながら、よくそんなもので住居を作ろうと思ったなぁと感心してしまいました。

田名向原遺跡では、縄文時代にも人が生活していたようで、出土された土器の中には、胡桃型にかたどったものがあり印象的でした。今よりも食べることが命に直結していた時代、縄文人は、どんなことを思ってこの土器を作ったのかなぁと考えると楽しくなりました。

旧石器時代の人類も食べた?マス料理を堪能

先ほど、田名向原遺跡は、サケやマスの漁場となっていたとお伝えしましたが、相模川は、かつてのサクラマスの太平洋南限と言われ、この付近の川でも数多くのサクラマスが遡上する姿が見られたといいます。様々な要因が重なり現在では見られなくなったそうです。

それと、直接的には関係ありませんが、遺跡から歩いて30分ほどの場所に、「飄禄玉」という川魚専門店を発見しました。マス料理を扱っているとのことでしたので、旧石器時代の人類も食べたであろうマスを頂いてきました。

私が注文したのは、マスのいくらと焼いた切り身が乗った丼ぶりです。マスのいくらを初めて食べたのですが、普通のいくらよりも粒が小さく弾力があり、野生味のある味でした。焼いた切り身も脂がのっていてとても美味しかったです。

店内からは長閑な田園風景を見渡すことができ、とても癒される空間でした。

お店の看板メニューは、マスの唐揚げと麦とろごはんのようで、たっぷりの大根おろしといただく唐揚げがとても美味しそうでした。次回はそちらも是非試してみたいと思います。

終わりに

縄文時代の遺跡を見ていていつも思うことなのですが、縄文人って、高台で排水がよく、風が抜ける住みやすそうな場所を良く選んでいるなぁということです。

縄文海進で今よりも海抜は高かったと思うのですが、繰り返す自然災害や1万5千年もの長い歴史の中で、海や川などの漁場に近く、排水性が良くて安全な場所に自然とたどり着いたのかもしれませんね。

縄文時代の高級住宅街も高台にあったのでしょう。

いかがだったでしょうか。身近な遺跡に足を運んで、当時の生活に思いを巡らすことも、発見があって以外と楽しいものですよ。みなさんも試してみてくださいね。

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